旧日本海軍の戦艦比叡が、
アメリカの調査チームにより
海底から発見され話題となっています。

戦艦比叡は太平洋戦争中に、
南太平洋のソロモン諸島沖で
沈没しました。

今回の発見で、戦艦比叡が
どのように沈没したのかなど、
詳しい状況が明らかになりました。

そこで戦艦比叡が
発見された時の様子や沈没地点、
その最後はどのような状態だったのか、
生存者はいたのかなど、
気になったので詳しく調べてみました。

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戦艦比叡とはどのような船だったのか?

戦艦比叡は1911年(明治44年)に起工され、
1914年(大正3年)に竣工、引渡された
金剛型巡洋戦艦の2番館です。

竣工後すぐに第一次世界大戦に参戦するため、
東シナ海方面に投入されています。

1933年(昭和8年)には世界的な軍縮の機運から、
ロンドン海軍軍縮条約が成立したことで、
練習船へ一時改装されました。

しかしながら1936年(昭和11年)に、
ロンドン海軍軍縮条約が切れたことで、
再び戦艦として大改装が行われました。

この大改装には後に作られる
大和型戦艦のテスト艦としての目的もあり、
このときの設計が戦艦大和に
参考とされています。

その後戦艦比叡は、太平洋戦争で
空母を護衛する戦艦として、
真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦などに
参加しました。

しかしながら1942年(昭和17年)ソロモン諸島の
ガダルカナル島へ向かう途中の第三次ソロモン海戦
で連合軍の集中攻撃を受けて沈没しました。

戦艦比叡の大きさは、排水量が
改装後では基準32,156トン、
全長が222メートル、最大幅が31メートルです。

ちなみに日本最大のカーフェリーである
新日本海フェリーの「ゆうかり」は
相当数が18,229トン、全長が199.9メートル、
最大幅が26.5メートルです。

したがって戦艦比叡は現在の日本最大の
カーフェリーよりも、一回り大きな
非常に大きな船であったといえます。

また速力も29.7ノットと、上述の
新日本海フェリーの「ゆうかり」の
25.4ノットよりも早く、
高速戦艦と呼ばれていただけあって、
当時としては非常に速い速度誇っていました。

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戦艦比叡の沈没地点はどこ?

今回戦艦比叡が発見された沈没地点は、
ソロモン諸島のサボ島の北西の海域
の推進985メートルの地点です。

ソロモン諸島は、インドネシアと
パプアニューギニアのある
ニューギニア島の東、
オーストラリアの北東に位置する島嶼群です。

サボ島はソロモン諸島最大の島である、
がダルカナル等の北東にある島です。

なお戦艦比叡と同様に、
サボ島沖で沈んだ船は非常に多く、
この場所はアイアンボトムサウンド
(鉄底海峡)とも呼ばれています。

そして現在でも海底に沈んでいる船から
流出する原油による汚染が
環境問題となっているほどです。

戦艦比叡の最後はどのような状況だったのか

1942年(昭和17年) 11月13日に戦艦比叡は
サボ島の北西沖でアメリカを中心とする連合軍の
集中攻撃を受けました。

そのため航行不能となり総員退艦して
自沈させたと言われています。

なおこのときの死者は188人で
負傷者は152人でした。

戦艦比叡が沈没した状態の目撃者が
存在していないため、
これまでどのように沈没したのか不明でした。

今回の発見では戦艦比叡の船体が
ひっくり返った状態で
ほぼ3分の1が切断されていて、
大きな爆発で沈没した可能性が
高いことがわかりました。

まとめ

戦艦比叡がアメリカの調査チームにより
発見されたことについて
紹介してきました。

現在では太平洋戦争時のような
戦艦による戦いは行われない
と言われています。

でも一度戦艦大和や今回の
戦艦比叡がどのくらいの大きさだったのか
見てみたいものです。

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