3月19日放送のブラタモリでは徳島県鳴門市が紹介されています。
徳島県鳴門市は四国の玄関口とも言われていて、四国八十八ヶ所のお遍路の一番札所があるそうです。
そこで徳島県鳴門市にある四国八十八ヶ所の一番札所のお寺はどこなのか?
一番札所になった理由、
お遍路は札所の順番通りに廻らないければいけないのか?
など気になったので調べてみました。
徳島県鳴門市の四国四国八十八ヶ所の一番札所とは?

四国八十八ヶ所とは空海(弘法大師)にゆかりのある四国の88ヶ所のお寺の総称です。
88ヶ所のお寺には札所番号が打たれていて、その中で第一番の札所番号を打たれているのが徳島県鳴門市の霊仙寺(りょうぜんじ)です。
正式名:竺和山 一乗院 霊山寺(じくわさんいちじょういんりょうぜんじ)
所在地:徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地
宗派:高野山真言宗
本尊:釈迦如来
創建年:天平年間(729年から749年の間)
参拝時間:7時から17時(納経印扱い時間)
参拝料:無料
アクセス:高徳線板東駅から徒歩10
霊仙寺が建てられたのは寺伝によると奈良時代の天平年間で、815年には空海(弘法大師)が訪れて修行したこともあるそうです。
なお天正年間(1573年から1593年の間)に長宗我部元親の兵により一度焼かれていますがその後再建されました。
しかしながら明治24年にまた本堂と多宝塔を残して再び火事で焼けてしまいました。
現在ではその時の火事で焼失した部分も再び再建されています。
なお本堂の奥殿には空海により作られたといわれる、秘伝の釈迦如来の坐像があります。
霊仙寺が一番札所になっている理由
霊仙寺が四国88ヶ所の一番札所になっている理由は、江戸時代に入って庶民による四国八十八ヶ所のお遍路が盛んになった頃、四国で修行した僧により案内書がいくつか書かれました。
その中の1687年に高野聖の真念が出版した「四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)」が初めて札所番号を記載して、霊仙寺を第一番札所としたためだったと言われています。
当時鳴門は四国の玄関口で、大阪から四国に来る場合には、淡路島を経由して鳴門から四国に入るのが一般的でした。
そして鳴門の港の一番近いところにあったのがお寺が霊山寺でした。
なお空海が札所と札所番号を定めたという説もありますが、空海は唐から戻ってきた後も札所を定めた形跡はなく史実ではないと言われています。
お遍路は札所の順番通りに廻らなければいけないのか?
四国八十八ヶ所を巡拝することをお遍路といいます。
そして四国八十八ヶ所のお寺にはそれぞれ札所番号が打ってあります。
お遍路は札所番号の順番通りに行う必要はなく、好きな場所から、好きなルートで廻ることが可能です。
なお札所番号の順番通りに廻ることを「順打ち」逆に廻ることを「逆打ち」、バラバラに廻ることを「乱れ打ち」と言うそうです。
当時は道案内が札所の順番通りにされていて、逆打ちは道に迷いやすいため苦労が多くご利益があるともいわれていました。
また一度に四国八十八ヶ所のすべてのお寺を廻ることを「通し打ち」、何回かに分けて廻ることを「区切り打ち」、区切り打ちのうち阿波、土佐、讃岐、伊予の一国のみを廻ることを「一国参り」といいます。
まとめ
ブラタモリの鳴門編で紹介された、四国八十八ヶ所の第一番札所について紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?
現在は四国の玄関口といえば瀬戸大橋のある香川県というのが一般的だとおもいますが、昔は鳴門だったんですね。
そしてその玄関口に一番近いお寺だったのが第一番札所の霊山寺と言うことでした。
当時の人の流れが第一番札所になるきっかけになり、鳴門が四国の玄関口と言われた理由だったと言うことですね。