佐藤昭は田中角栄の秘書を
努めていたことで
有名な人物です。

さらに佐藤昭は田中角栄の
秘書で有っただけでなく、
愛人で隠し子がいたことも
知られています。

そこで佐藤昭とはどのような
人物だったのか?
田中真紀子との関係など
気になる点について調べてみました。

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佐藤昭のプロフィール

本名:佐藤 昭子(1979年に佐藤昭から改名)

生年月日:1928年8月5日

没年月日:2010年3月11日

出身地:新潟県刈羽郡枇杷島村(現在の柏崎市)

雑貨店の6人兄弟の末娘として生まれる。
しかしながら1944年(昭和19年)
父母、兄2人、姉2人が
相次いで他界しました。

新潟県立柏崎高等女学校に進学し
陸上部の短距離走の選手として活躍後、
東京女子専門学校(現在の東京家政大学)に
数学の教師を目指して進学するも
戦後の混乱のため中退しました。

1946年(昭和21年)に田中角栄と初めて出会い、
衆議院議員選挙の選挙活動を手伝いました。

その時に田中角栄の応援演説を行っていた
男性と結婚し男児をもうけるものの、
その後離婚しました。

その後一時キャバレーで働いていた事もありましたが、
1952年(昭和27年)に田中角栄の秘書になりました。

田中角栄の秘書の傍、政治団体である
越山会の経理一切を握る責任者も勤めました。

この時に東京電力の社員の男性と
2度目の結婚をしているものの、
再び離婚しています。

なお1957年(昭和32年)に娘の
敦子を出産しています。

敦子は戸籍上は2番目に結婚した
男性との子供ということになっていますが、
実際には田中角栄との間の娘と見られています。

1976年(昭和51年)に田中角栄が
ロッキード事件で逮捕された時には
東京地検特捜部の事情聴取を受けています。

1979年(昭和54年)に本名を昭から
昭子に改名しています。

1985年(昭和60年)に田中角栄が
脳梗塞で倒れた後には
娘の田中真紀子により事務所が解散されて
秘書を解雇されています。

その後田中角栄とは一切会うことができず、
田中角栄が亡くなった時にも
葬式に参列することもできませんでした。

2010年(平成22年3月11日)に
肺癌により81歳で死去しました。

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越山会や自民党田中派にも強い影響力

佐藤昭は田中角栄の秘書であるとともに
政治団体である越山会の責任者として
経理の一切を任されていました。

そのため「越山会の女王」「越山会の金庫番」
などと呼ばれていました。

越山会は最盛期には会員数が
9万5000人を数える、
巨大な組織になっていました。

しかしながら1990年に田中角栄が
代議士を引退すると解散されました。

また佐藤昭は自由民主党木曜クラブ
いわゆる田中派にも強い影響力を持っていました。

その当時田中派の議員であった、
橋本龍太郎、小渕恵三、羽田孜、小沢一郎
などからは「ママ」と呼ばれて
姉貴分として慕われていました。

佐藤昭の女性としての魅力

佐藤昭は身長157cmで、
バスト97cm、ヒップが95cmなのに対し、
ウェストが58cmと
非常にスタイルが良かったそうです。

同僚の秘書であった朝賀昭によると
スタイルが良くて胸が豊かで眩しく映った
とのことで、そのスタイルで
男性を魅了していました。

娘の敦子の著書の表表紙にも
海水浴で娘と撮った33歳当時の
水着の写真が掲載されていて、
そのスタイルの良さを
うかがい知ることが出来ます。

またダンスが上手で麻雀も
好きだったとのこと。

さらに田中角栄がゴルフを始めた時には
一緒にゴルフを楽しんで
男性並みの飛距離なので、
田中角栄より遠くに飛ばして
よく不機嫌にさせたいました。

佐藤昭と田中角栄の間の娘とは?

佐藤昭と田中角栄との間には
敦子という娘がいました。

ちなみに娘の敦子は母の佐藤昭と
父の田中角栄について
「昭 田中角栄と生きた女」
という著書で書き記しています。

敦子は小学4年の頃から
塾通いをさせられ、
母の一存で慶應義塾中等部に
入学しています。

しかしながら母との関係は
良好なものとは言えず、
思春期までは母の言いつけを
よく守るいわゆるいい子でしたが、
思春期に入ってからは
仕事に没頭する母に反発して
お酒や薬にはまってしまったそうです。

そして恋愛がうまくいかない時には
自殺未遂を繰り返していたとのことです。

そんな娘に対して佐藤昭は
オロオロするばかりで
娘の事は同僚の秘書である
朝賀昭に任せきりだったそうです。

佐藤昭と田中真紀子との関係

田中角栄の娘である田中真紀子と
秘書でありながら実際は愛人とも言われた
佐藤昭の関係は当然のことながら、
良好なものとは言えませんでした。

田中角栄が脳梗塞で倒れて
政治生命を失った時には
田中真紀子は事務所を閉鎖するとともに
佐藤昭を解雇しました。

そしてその後佐藤昭は田中角栄とは
一切会うことはできませんでした。

田中角栄が死去した時にも
通夜や葬儀に佐藤亜紀が
参列することもできませんでした。

2人の対立は非常に
根深かったものとみられます。

まとめ

昭和の偉大な政治家と言われる
田中角栄ですが、
その背後には佐藤昭のような
有能で魅力的な女性の存在がありました。

男が大きな仕事を成し遂げるには
このような女性の存在は
欠かせないもので
あるのかもしれません。

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